評定所
混効験集 乾坤
評定所
混効験集 乾
混効験集 一巻 内裏言葉
我が国は、神の国の本地、弁財天である。昔は、神が自ら現れて、人の善悪を正したそうである。いにしえは、神の言葉である、みせせるを、日常語として話し、優雅で、美を極めていた。しかしながら、世がくだると、だんだんとその言葉は少なくなった。
国王尚貞殿下が、たいへん、お考えになられて、いにしえの良き言葉を選べと宣旨を下されたが、それを知る者はほとんどいなかった。ところが、尚賢国王の時代から三代に使える一人の官女がいた。昔や今のいろいろな言葉を覚えているのを集め、おもろさうしの言葉を選び、なおかつ、官女の口伝えを聞いて、すべてを一冊の本とする。
中略(原文参照)
乾坤
てたききやなし(てぃだきぎゃなしい)
おてた(うてぃだ)。太陽の事。
※きやなしは美称辞。かなしとも言う。きは接続辞。あるいは、次項のおつききやな
しとペアーなため、あえて、きを付加したものか。全体として敬愛する太陽様とい
う語感。てたは全体を照らす慈愛あふれたものから、統治者、王様なども意味する
ようになった。
おつききやなし(うちちぎゃなしい)
おつき(うちち)。月の事。
はなあたへ(はなあてえ)
花園の事。
人倫
くわうていかなし(くぉおてぃいがなしい・くぁうてぃいがなしい)
皇帝の事。
※原文の皇帝の前には御の字がつけられている。これは現在の辞書のスタイルと違う
ところ。現在の漢和辞典の元となった康煕字典の五画の部首のトップは玄であるが、
それ以前は玉であった。これは、康煕帝の本名の一字が玄であったため。また康煕
字典の玄の字の最終画は欠画となっており、皇帝とはそれほど偉い存在だったよう
だ。琉球は中国の朝貢国なので皇帝という言葉も普通に使っていたのか。日本本土
の文献にはあまり見かけない。
しより天かなし美御前(しゅりてぃんがなしいみうめえ)
琉球国王の事。
※しよりは首里の事。しゆりと書くべきだが、ウ段をオ段にあえて書き換えている。
美御前は、最高の尊敬を込めて言う。美は本来は御だと考えられるが御の字が重な
るのを避け、美の字を使用していると推測される。首里はすいとも言う。
おしゆかなし共称奉る(うしゅがなしい・うすがなしい:ともとなえたてまつる)
※これは見出し語ではなく、上の言葉の別の言い方。これから、たびたびあらわれる
かなしはもともとは形容詞で、愛しい、愛すべきという語感。これは現在もかなさ
んという形で使われる。かなしが名詞化されて、敬愛、尊敬されるべき人に対して
添えられるようになった。
みきよちやの美御前かなし(みちゅちゃあぬみうめえがなしい)
琉球国王の妃の事。
中城の美御前かなし(なかぐすくぬみうめえがなしい)
次の琉球国王の事。
あやあまへ(あやあめえ)
琉球国王の母の事。琉球国王が母を呼ぶときの言葉。
※あやあはお母さんの事。めえは尊敬を込めて言う。したがって、この言葉は単にお
母さんと言う意味で、士族のあいだでは、一般に普通に使われ、現在も使う人がい
る。筆者も使った事がある。ちなみにお父さんは、たありいめえ。士族以外の人は、
お母さんを、あんまあ、お父さんを、すうと言う。
おはんぎやなし(うわんぎゃなしい)
琉球国王の子供が国王の母をこう呼ぶ。
某のあんしきやなし(なんとかのあんじぎゃなしい)
次期国王の后、および、国王の子供の妻をこう呼ぶ。
某のおまへ(なんとかのうめえ)
国々の按司をこう呼ぶ。
おなちやら(うなじゃら)
国々の按司の妻。
あすたへ(あしたび) (887)
三司官(さんしかん)の事。
※三司官は琉球王国の最高行政官で、文字通り三名いてそれぞれ職務を分担した。摂
政の下で、親方の中から選挙で士族によって選ばれた。この時代に最高行政官が選
挙で選ばれたというのは誇るべきこと。混効験集の編集責任者、識名盛命(しきな
せいめい)は三司官。本集評定所本には、識名の修正・加筆が朱で書き加えられて
いるが、丁寧な字で几帳面な性格が伺える。もちろん、評定所本の筆者より達筆。
識名は、和語(日本語)で紀行文、思出草(おもいでぐさ)を書いている。名文で
ある。思出草という名の本は、他にもいくつかある。また、1709年の首里城の
火災で焼失したおもろさうし原本の再編集の責任者でもある。自宅は、現在の那覇
市首里寒川町1−24である。通称、赤マルソウ通りに面している。赤マルソウ通
りを上りきったあたりに金城町の石畳の道がある。
おやかたへ(うやかたび、うぇえかたび)
親方の事。(琉球語の発音はうぇえかた)
※親方は琉球王国の士族の最高称号。世襲制ではない。世襲制でないのは特筆すべき
こと。日本相撲協会にも同名の称号があり、これも世襲制ではない。
おものぶぎやう(うむぬぶぎょお)
御物奉行(おものぶぎょう)。
おさすいのそば(うさしぬすば)
御鎖之側(おさしのそば)。
※琉球王府の役職名。海外との交易さかんな琉球国の交流物を保管する倉庫の鍵をあ
ずかる職務。さしずめ日本本土の長崎奉行か。特筆すべきは、第二尚氏の祖、内間
金丸(うちまかなまる)はこの役職にあった。内間金丸は、クーデターにより、第
二尚氏の王になった。中国は本来、後継者は禅譲(ぜんじょう)によるものとされ、
冊封使から国王として認めてもらうのに、クーデターでは体裁が悪く、第一尚氏の
後継者として、自らを、尚(しょう)と名乗った。国王名は、尚円(しょうえん)
である。
おさうしきよい(うそおしちゅい)
御双紙庫裡(おそうしくり)。
※御双紙はおもろさうしのことで、庫裡(くり)はそれをおさめる倉のことのようだ
が、このような言葉が見出し語になるほど、おもろさうしが存在感があったという
ことか。庫裡は現在禅宗の寺などでいまだに使われる言葉である。
泊地頭(とぅまいじとぅう)
那覇里主(なはさとぬし)。
※里主は現在の市町村長に相当するか。さしずめ、現在の那覇市長の事。
みものくすく(みむぬぐすく、みむんぐすく)(ぐすくは、ぐしくとも発音)
御物城(みものぐすく)。
※見るに値する御城という語感。国宝姫路城も御物城であるが、やはりこれは首里城
の事。
石奉行(いしぶぎょお) 木奉行(きいぶぎょお) 丸奉行(まるぶぎょお)
鍛冶奉行(かじぶぎょお) この外の諸奉行もそれぞれこのように呼ぶ。
當親雲た(とぅうぺーちんたあ) 勢頭親雲上た(しどぅぺーちんたあ)
里之子た(さとぅぬしたあ)
筑登之た(ちくどぅんたあ) 花當(はなあたい) 小赤頭(しょおあかび)
あこむしたれまへ(あくむしたりめえ) うちかたとも言う。
上の婦人は昔このように言った。
こがねがなし(くがにがなしい)
皇子皇女などが幼小の折にはこう呼ばれた。美敬称。
おめぐわ部(うみぐゎあび)
上の子供が成人になるとこう呼ばれた。
やしゆこ(やしゅく)
一般の人々の奥様方。
あむ(あむ)
百姓の妻。
※百姓は差別用語ではないという議論がある。
お世おわつかい(うゆうわちけえ)
摂政の事。(摂政の発音はしっしい)
※摂政は三司官の上に立つ琉球王府の最高官職。第一尚氏では中国人が任命されたが、
第二尚氏では七代尚寧王以後任命された。ほとんど形式的なもので実質的な職務は
三司官が行った。琉球王府の正史、中山世鑑の編者羽地朝秀は摂政であった。三司
官、表十五人とあわせて、しっしいさんしくぁんうむてぃじゅうぐにん、と言う。
よあすたへ(ゆあすたび)
御さはくり(うさわくり)。三司官の事。
くそし(くすし)
医師
※医者の者の字に朱が入れられ、師と訂正されている。どこが違うのか?発音はくす
しであったと思われるが、くそしと書かれている。当時すでに母音が五音から三音
に移行あるいは、移行途上にあり、三音は方言の意識があり、正しい五音に訂正し
て表記しようとする傾きがみられる。そのため、本来正しいくすしまで、くそしと
書き改めていると推測される。この傾向は混効験集全体に通じている。おもろさう
しにもこの傾向がみられる。
まゑなご(まうぃなぐ)
女の人を敬っていう言葉。ゑなご(うぃなぐ)とも言う。
※まは真の事。うぃなぐ(winagu,yinagu)は現在でも普通に使う。このように現在でも普
通につかわれる言葉が多数あらわれるのが混効験集の魅力。
おめおとぢや(うみうとぅじゃ)
兄弟の事。うとぅじゃむだとも言う。おめは敬っていう時の言葉。単に、うとぅじゃ
とも言う。
おめすざ(うみしざ)
兄の事。
おめをつと(うみうっとぅ)
弟の事。うっとぅとも言う。
おめけり(うみちり)
女の人からみて男の兄弟を言う。
おめなり(うみなり・うみない)
男の人からみて姉妹を言う。単にうなりとも言う。
※琉球語のRの音はしばしば消失する場合がある。この時代はどうであったか確かな
事はわからない。
おめあね(うみあに)
姉の事。
時候
わかおれつみ(わかうりつみ)
二三月、麦の穂が出る日を言う。
※二三月は、もちろん旧暦。
わか夏(わかなつ) (54)
四五月の稲の穂の出る日を言う。
けふ(ちゅう) (137)
今日。
※今帰仁の方言では、きう、と言うようである。もしかすると、この時代は、きゅう
と発音していたかもしれない。結婚式の定番、かじゃでぃ風は、きゆぬふくらしゃ
や、で始まる。今日を、きゆと発音している。おもろさうしでは、けお、と表記さ
れる。
ゆまんぐい(ゆまんぐぃい)
夕間暮。
※まぐれの語源は、目暗(まぐれ)らしい。夕暮れの事。夕間暮は、当て字。ゆふま
ぐれは、源氏物語にも登場する言葉である。
あちや(あちゃあ) (995)
明日。
あさて(あさてぃ) (988)
明後日。
なあちや(なあちゃ)
翌日。
※しあさってを、あさてぃぬなあちゃと言う。ここまでの、ちゅう、あちゃあ、あさ
てぃ、なあちゃは、現代琉球語でも使われる。こういった言葉は長生きのようであ
る。
こねや(くにや)
この時分と言うこと。くぬひいとも言う。
なあさて(なあさてぃ)
翌々日の事。
すとめて(してぃみてぃ)
朝の事 和語では、つとめてと言う。
※枕草子第一段、冬はつとめて、で有名な言葉。ちなみに春曙抄(しゅんしょしょう)
にはこのつとめてと言う言葉が出てこない。現在の琉球語では、ひてぃみてぃ、あ
るいは、ふぃてぃみてぃと言う。朝御飯をひてぃみてぃむんと言う。
すかま(しかま)
午前または午後の10時ごろ。
わかひるま(わかひるま)
正午ごろ。ひるまとは午後2時ごろ。
こしめ時分(くじみじぶん)
日没の事。入相(いりあい)の鐘(日没を知らせる鐘)をくじみと言う。
よこなひ(ゆくない)
日没から夜中まで。ゆうないとも言う。
ねか(にか)
あとで、のちに。にかいもおれえ。後で来なさいという事。
なま(なま) (618)
今という意味。
※これは現在の小学生にも通じる。
こゑたつき(くぃいたちち)
越えた月という意味。
こんつき(くんちち)
今月の事。
たつき(たちち)
立月の事。立の一部が省略されたか。
にやみつき(にゃあみちち)
再来月の事。
こぞ(くじゅ)
去年の事。
みちよなて(みちゅなてぃ)
再来年の事。
ことし(くぅとぅし) (298)
今年の事。
やあに(やあに)
来年の事。
をつてい(うぅってぃい)
一昨日の事。
きにふ(ちぬう)
昨日の事。
※今帰仁の方言では、きぬう、と言う。
みすとめて(みしてぃみてぃ)
未明の事。和語では明闇と言う。
琉歌、まだ夜もあけないころ、庭に向かってみれば、美しい蝶が花のようにあなたに
付き添っている。
※という感じか。これはたぶん後朝(きぬぎぬ)の別れの歌か。女が男を送り出すと
きの歌であろうか。琉歌は八、八、八、六、通常、サンパチロクと呼ばれる琉球、
奄美諸島の歌の形式。日本本土の和歌、短歌に相当する。おもろさうし534の歌
は、ゑ、け、の掛け声をとると、八音が八回繰り返されている。二か所字余りがあ
るが、これも発音の仕方では八音となる。まるで、琉歌を読むようである。琉歌を
二つ並べたような感じがする。琉歌とおもろは源流が同じだと思われる。ちなみに、
今上陛下は、琉歌を詠まれるとの事。御指導なされたのは、外間守善氏だそうであ
る。平良文太郎という先生がおられて、琉歌を英訳されたという話を、中学2年の
英語の担任石川義雄先生が何度も授業でされていた。私が、おもろさうしを英訳し
ようと思った大きなきっかけである。なお、今上陛下は、御退位になられるとの事。
ゆづくひ(ゆじくい)
夕附日。和語にも有る。俗語に、ゆうさんでぃまちちゅうり。これは夕方に町行く折、
という意味だろう。琉歌、夕暮れになったので、このようにしてはいられない、あの
人の遣いが今来るかもしれないと思うと。
※夕付日(ゆうづくひ)は夕方の太陽の事。万葉集3820に登場する。
ゆふへ(ゆうび)
夕べの事。
ねぶりをり(にぶりうぅり)
眠折。俗には、ねむじやれ(にむじゃり)。
※眠の字、原文では、賦に見える。民と武は草書だと似ているが、これは、やはり、
武に見える。書き間違いとするしかない。眠っている折に、の意味。
かいしやう(かいしょお)
開静(かいじょう)。日の出、卯の時の楼鐘、百八の鐘の声の事を言う。
※開静とは、禅宗で、早朝、雲板をたたいて、起床をうながす事。曹洞宗では、座禅
をやめて、座を離れる事。卯の時は、夜が明ける頃の時間。それを知らせる鐘の音
を言うようである。百八の意味がよくわからない。大晦日ではないので、百八もた
たいていたわけではないと思う。
こじめ(くじみ)
昏鐘鳴(こじみ)。節用集ではこのように読ませる。ミとメは通音である。黄昏時、六
時から八時ごろの楼鐘百八の鐘の音を言う。
※通音という江戸時代の学説が沖縄にもあったのか。五十音図の同じ行の音は、意味
が同じである場合があるということ。具体的には、「み」と「め」は同じであるとい
うこと。これを普遍化すると日本本土の発音と、琉球語の発音は通音であるという
ことになる。昏鐘鳴は、夕暮れを知らせる鐘の音。混効験集には多くの漢字の当て
字が登場する、その当て字は、ほとんどすべて、節用集から借用したものであると、
推測する。節用集は、ある言葉を、漢字でどう書くかという場合にたいへん便利な
辞書である。極端にいえば、日本語で漢字で書けないものはないというスタンスで
ある。その最も顕著な例が、この集のいちばん最後にあらわれる、擬態語、擬声語
である。すべて、漢字で書かれている。ほとんど間違いなく節用集からの借用だと
思われる。
よなか(ゆなか) (730)
夜半子(やはんし)の楼鐘百八の鐘の音を言う。
※夜半とは今日でも使うが、子の刻と同じ意味。あわせて夜半子と言う。午後23時
ごろから午前1時ごろを言う。夜半と同じ意味の言葉には、深夜、夜中、真夜中、
未明などがある。これらの違いは科学的なものではなく感覚的なものである。よな
かとは、この鐘の音と、この鐘がなる時間帯の両方を言う。ちなみに現代琉球語に、
ゆんゆなか、という言葉があるがこれは夜の夜中という意味だろうか。
ねくらく(にくらく)
平旦。午前3時から5時ごろ。
※平旦とは夜明けごろのこと。旦は太陽が地平線に現れる様子を表す。平坦ではない。
ゆふまくれ(ゆまんぐぃい)
夕眩(ゆうまぐれ)と書く。昏鐘鳴(こじみ)の時分。あかふくろうが鳴くころ。
※あかふくろうは、ネットの画像で見ることができる。現在も生息するのか。
ひつちへちやはる(ひっちいちゃあはる)
終日の事。
※現代琉球語で、ひっちい、とは一日中の事。ちやはるは、いらっしゃる。二語をく
っつけたようである。
よながと(ゆながとぅ)
夜通しという意味。
※夜長くが語源か。
あかがい(あかがい)
光が射し輝く様子。夜が明けようとする時分も言う。映の字か。
支体
みおむき(みうむち)
御顔の事。
みおむきやうへ(みうむちよおい)
見た目がよい頭の事か。
うむしゆこ(うむしゆく)
歯の事。(しゆんしゅく)とも言う。
むしん(むしん)
いれかみとも言う。髢(かずら)の事。
気形
みやかい(みゃあかい)
鶏の事。庭鳥とも言う。庭飼と書。
あひら(あひらあ)
鶩(あひる)の事。あふぃらあとも言う。
※室町時代のなぞなぞの本に「母には、二度あうが、父には一度もあわないものは何
か。」というのがある。実は、このなぞなぞ自体は平安時代のものである。答えは「唇」
である。室町時代のなぞなぞの本では、答えの意味がわからない、とある。現代の
我々にもわからない。このなぞなぞの答えの意味を解明したのは、江戸時代の学者
である。ひらがなのハ行の発音は、時代とともに、変わったようである。奈良時代
には、ぱ、ぴ、ぷ、ぺ、ぽ、と発音されていたようである。これが、平安時代にな
ると、ふぁ、ふぃ、ふぅ、ふぇ、ふぉ、と発音されるようになった。これらは、英
語のFの音とは違い、上の唇と、下の唇を合わせて、離す音である。つまり、平安
時代の「母」は「ふぁふぁ」と発音されていた。母の場合には、唇が二度合い、父
の場合には、唇が一度も合わないのである。なぞなぞの答えは「唇」で正解である。
江戸時代の学者は早くから、ハ行がファ行のように発音されていたであろう事はわ
かっていたが、なにしろ、科学的に立証することが出来ない。そこで出会ったのが、
このなぞなぞである。これで、科学的な裏付けとなる。現代の琉球語のハ行は、平
安時代と同じである。という事になっているが、実は、平安時代と室町時代の中間
にある。鎌倉時代だという意味ではない。つまり、ファ行からハ行への移行期にあ
るという事である。たとえば、上のあひらを、現代の沖縄では、「あひらあ」と発音
する人と「あふぃらあ」と発音する人の両方がいるということである。興味深いの
は、お互いがどちらも正しいと思っていることである。通常なら、自分の方が正し
く、相手が間違っていると思うのであるが、共存している。こういうことを移行期
というのであろう。ここで、もう一つ興味深いのは、このハ行をパ行で発音してい
るところがある。代表的なところが、今帰仁である。この現代語訳の補足説明では、
たびたび、今帰仁の方言が登場するが、実は、亡くなった私の母は、今帰仁村湧川
の出身である。母は豆腐を「とおぷ」と発音していた。火は、「ぴい」である。屁を
ひるは、「ぴいぴいん」である。つまり、沖縄には、奈良時代と平安時代と室町時代
のハ行が並存していることになる。もっとすごいのは、平安時代から室町時代への
移行期のハ行まで存在しているのである。沖縄の人々は、このような豊かな言語環
境にあることをもっともっと自覚すべきであるし、自分たちの方言、琉球語への関
心をもっと持つべきであると思う。外国語への関心も大切であるが、自国語と、自
方言をまず大切にすべきである。テレビの特集で、消滅に瀕したアメリカインディ
アンのおばあさんが、話をしているシーンがあった。そのインディアン語を話す人
は、そのおばあさんが、最後の一人だというナレーションがあった。琉球語もやが
ては、このインディアン語と同じ運命かもしれない。そのインディアン語と琉球語
の違いは、琉球語には文字で書かれたものが存在することである。たとえば、おも
ろさうし、混効験集などである。それを後世に伝えていくことができるのである。
があなあ(があなあ)
鵞鳥(がちょう)の事。
があとり(があとぅい)
鴨(かも)の事。
つかなひばうと(ちかないぼおとぅ)
鳩の事。やあぼおとぅ。鴿(いえばと)の事。
よもとり(ゆむとぅい)
雀の事。
ちちよゐ(ちちゆうぃ)
千鳥の事。
はべる(はあべえるう) (479)
蝶の事。
あけづ(ああけえじゅう) (847)
蜻蛉(とんぼ)の事。和語ではあきつと言う。日本国の形があきつに似ているので、
日本を総称して秋津島と言う。秋津国とも言う。
※ああけえじゅうは今日の発音。当時の発音がどうであったか興味深い。
ずいんずいん(じんじん)
蛍の事。ひちゃやあとも言う。
※ひちゃやあとは、光るものという意味。
ひやくさむしやむし(ひゃくさむしゃむち)
蝦(えび)の事。海老とも言う。
※むしゃむちとは魚類の事。語源はよくわからない。ひゃくさは百歳の事。
かきよせむしやもち(かきゆしむしゃむち)
蟹(かに)の事。昔は、山の御役人の貢物であった。いまは山に課せられる税。
※かきよせは掻き寄せの事か。山当ての意味がよくわからないが、一応解釈しておい
た。
草木
しつくわくわのはな(しちくぁくぁぬはな)
俗に、なはるはなとも言う。
※なはるは南蛮の事か。現在の何の花をさすのか不明。
すいしゆんのはな(しいしゅんぬはな)
花は芳香、紫。葉は大体簪(かんざし)に似ている。昔は官女がこれで興じ楽しんだ
そうだ。
※この時代の昔とは一体いつ頃のことなのか。原文、きはは、じいふぁあ、簪の事。
おもしろいたとえ。
もへくわのはな(むふぃかぬはな)
茉莉花(まつりか)の事。茉莉花はジャスミンの事。さんぴん茶に使われる。
きいはのはな(ちいはぬはな)
桂花の事。
※桂花はモクセイの中国名。モクセイの花の事。おもろ語辞書には「カツラ科の落葉
喬木」とあるが間違い。桂の花と勘違いしたようである。モクセイ科の常緑小高木
である。
らんのはな(らんぬはな)
さいらんとも言う。蘭の花。
※韓国語同様、もともと沖縄の古語にはラ行で始まる言葉はない。これは外来語。
器材
こかね(くがに) (19)
金のお金の事。
なむぢや(なむじゃあ) (1240)
銀のお金の事。和語で南鐐(なんりょう)と言う。
あこかね(あくがに) (656)
銅の事。
しろかね(しるがに) (656)
錫(すず)の事。
くろかね(くるがに) (1306)
銕(てつ)の事。
たまかはら(たまかわら) (1237)
勾玉、曲玉の事。(どちらも、まがたま、と読む。)
※古事記では曲玉、日本書紀では勾玉と表記する。多くは、玉から尾が出たような形、
コンマのような形をしている。何をかたどったものかはいろいろな説があるが、も
ともとは、動物の牙を使用していたものが、人工的に作ってもなお牙の形を模した
ものであるという説。赤ん坊が体内にいる形を模したもの。などがある。沖縄では、
シャーマン(神人、ユタ、ノロ)の装飾品として使用される。装飾品というよりも、
シャーマンの証明、象徴、権威のようなものであり、それ自体に霊力がやどると思
われている。琉球王家の家紋、左三巴(ひだりみつどもえ)は、この勾玉を三つ円
状に並べた形をしている。原文の玉珈玻ラの、ラの字はワープロでは出ない。大漢
和辞典には載っている。難しい漢字である。興味のある方は、校本と研究を参考の
事。康煕字典によれば、この漢字は譌字(かじ)、つまり誤った漢字であるらしい。
おむきよし(うむちゆし)
御腰物。
※士族(さむれえ)が腰に差す刀の事。
みすへご(みしひぐ)
御小刀の事。和語では、そへごと言う。
むきやむさし(むちゃんざし)
髪に差すもの。簪(かんざし)の事。
みおそへさし(みうすいさし)
刀の添え差し。
※みおは御御で二重の丁寧語。意味はそへさしにある。
みよまへしむちへ(みゆめえしむちい)
極上の金の御箸の美称。
みよむしつきのむはし(みゆむしちちぬむはし)
正式の御膳をお召し上がりになる御箸とは別に上の御箸を御菓子盆にのせ、お飾りま
でに、御側に置いておく。
みつむはいし(みつむはあし)
すすきの箸の事。上のほうは、筆先のようにして、穂をつけている。昔は、奥御殿で
振る舞う時には、上下をとわず、一つの御菓子盆を二三人もいっしょになって上記の
箸を使って頂いたそうだ。
おとくぼん(うとぅくぶん)
御徳盆の事。正式の御盆。
めしよわへおみこし(みしゆわいうみくし)
召し給う御腰物。これは二つあり、一つは、外出時あるいは、節供の時などに。もう
一つは、当番の日、出仕する時にお差しになる。
おくわしぼん(うくぁあしぶん)
女官専用の御菓子盆。
むきやがみ(むちゃがみ)
鏡の事。
みくし(みくし)
櫛の事。
おむきよへん(うむちゅびん)
瓶(びん)の総称。
玉だれおむきよへん(たまだりうむちゅびん)
国王の前に差し出される宝飾された瓶。
みはうとう(みほおとぅう)
三合の瓶。足がある。
いつのこへん(いちぬくびん)
五合瓶。
なかじろ(なかじる)
七合瓶。ななぬくびんとも言う。
おなんたう(うなんとお)
水取用の瓶。
かなぶち(かなぶち)
三合升(さんごうます)。
もんなん(むんなん)
四合升。
むきやま(むちゃま)
鍋の事。
むきやまかい(むちゃまかい)
鍋匙(なべさじ)の事。
おはうちや(うほおちょお)
たちむんとも言う。包丁の事。
たもの(たむぬ)
焼物(たきもの)を中略したものか。薪木麁(まききそ)を薪(まき)と言う。細い
のを蒸(たきぎ)と言う。
※麁の正字は、麤。粗品と書くが、本来は麤品である。音が同じのため、現在は、麤
の代わりに粗の字を使う。麤の反対は、細。粗いほうが薪で、細いほうをたきぎ、
と言いたいようである・
とぼし(とぅぶし)
明松。たいまつ。続松とも書く。
おとうろ(うとぅうるう)
行灯(あんどん)の事。
ときしみ(とぅちしみ)
灯心の事。とうずむ(とぅうずむ)とも言う。
※灯心という言葉は、現代生活から遠い。
きみしくわん(ちみしくぁん)
物を置く平盆の事。
みおやもの(みうやむぬ)
どのようなものでも、国王の所有物はこのように言う。
ほいはん御盃(ふいわんうさかじち)
金の外はほりすかにして内はなめらかである。
※ほりすかは、透かし彫りのことらしい。
耳御盃(みみうさかじち)
金盃の事か。
あやなみやし(あやなみやし)
筵(むしろ)の事。
おまつくわ(うまっくぁ)
枕の事。
※枕の事を現代琉球語で、まっくぁ、と言う。
みごしやん(みぐしゃん)
杖の事。
※杖のことを、現代琉球語で、ぐうさん、と言う。
むきやび(むきゃび)
紙の事。
みすゞひ(みしじい)
硯の事。
おむきやたか(うむちゃたか)
傘の事。
みさあなあ(みさなあ)
同上。
おみあふり(うみあふり)
冷傘(れいさん・りょうさん)の事。
※冷傘は、冷やすための傘、つまりパラソルである。
銭ちよこもり(じんちゅくむり)
銭百文の事。いちくむり、たくむりと九百文までは同じ。
銭ちよなわ(じんちゅなわ)
銭壱〆文(ぜにいちしめもん)の事。
※〆は、しめと読む。上から推測すれば、〆文とは銭1000文となる。ちなみに、
日本本土では、銭1000文で一貫。貫の字は銭を紐で通すという意味。四貫で一
朱、四朱で一分、四分で一両。
とぅなわ、はたなわ、みしゅなわと三十〆まで言う。
むちへつくり(むちいちくり)
神酒を貯える器の事。
ちよなかもり(ちゅなかむり)
一合の事。とぅなかもりまでは同じ。
みそかけ(みすかき)
衣架と書く。
※〜と書く、という決まり文句がたびたび登場するが、これは、漢字が意味そのもの
を表しているということ。したがって、その漢字をどう読むかにはあまりこだわら
ないほうがよい。またその漢字で表される言葉が実際に存在するかどうかにもこだ
わらないほうがよい。たとえば、この場合、衣架とは衣を架けるものである。これ
は、日本国語大辞典に載っている。読み方は、いか、である。
おむきよはん(うむちゅはん)
花米(はなごめ)を入れる器の事。
※花米は、神前に供える米の事らしい。
おさんぼん(うさんぶん)
茶菓子などを入れる器。
辻うちこい(ちじうちくい)
上にかぶせないのは、うちくいと言う。平板なもの。
※いわゆる、袱紗(ふくさ)の事。献上などする時に、下に敷く布をうちくい、上に
かぶせる布を辻うちくいと言う。辻は頂の当て字。ちなみに今日、風呂敷の事をう
ちくい、うちゅくい、と言う。
おまかり(うまかり・うまかい)
茶碗の類(たぐい)を言う。和語でもまかりと言う。
※現在の沖縄方言(琉球語)では、りのR音が消失して単に「い」となる傾向がある。
おもろの時代にもたぶんそうであったと推測されるので、まかいとも書いておく。
以後、りが出てきた場合、いと発音してみると現在の琉球語に近くなる場合がある。
茶碗は文字通り、御茶を飲むときのもので、御飯などを入れる器はまかいと言って
いたと推測される。現在でも、まかいという沖縄人は多い。
わんほうまかり(わんふうまかり)
大まかりの事。
おそろい(うするい)
菜皿の事。 すりいとも言う。
みおきれとり(みうちりとぅり)
火取りの事。
※火を取る道具がどなようなものであったかはよくわからない。
みちやう(みちょおお)
弓の事。和語ではみたらしと言う。
みおじやらい(みうじゃれえ)
草履の事。さばとも言う。和語でもさばという。雨降りなどに草履を履いて道を行く
時、泥または水などが草履で着物にはねかかるのをさばうちと言う。
みやしぢや(みやしじゃ)
木履(きぐつ)の事。和語ではあしだと言う。徒然草に、女のはいている(あした)
で作った笛には秋の鹿がよる、、、とある。
※徒然草第9段。本文には、秋の鹿かならずよるとある。この笛は鹿笛の事で、猟師
が鹿を誘い出すために吹く笛の事。その鹿笛を女のはくあしだで作れば鹿が必ず寄
ってくるという例え、あるいはことわざ。実際に女のあしだで笛を作ったわけでは
ない。その前には女の髪の毛で作った縄は、大きな象も動かすことができるとある。
こりようそく(ぐりゅうすく)
御料足と書く。姫様の婚礼のとき婿方より献上する鳥目のこと。
※姫様とは貴人の子女。結婚するとき婿方から献上する金銭のこと。鳥目は穴の開い
た銭のことで、鳥の目に似ていることから。
みおうね(みううに) (17)
御船の事。ううにとも言う。
むちへもく(むちいむく)
御具器または神酒を入れるのも言う。
そはうんかき(すはうんがき)
ちにぶとも言う。
※ちにぶは現在でも使う言葉。
家屋
もんだすい(むんだしい)
百浦添御本殿。
※首里城正殿の事。ももうらそえ(むむうらしい)が縮まって、むんだしいとなる。
百浦添とは百(沢山の)浦(国々)添(守る)という意味。
こかねおとん(くがにうどぅん) (1166)
常の御殿。
※金の御殿という意味。これも同じく首里城正殿の事。
よぼこり(ゆぶくり) (1341)
よりむちとも言う。朝夕身なりを整えるための御殿。
※建物の名前。世誇り。首里城正殿の東、継世門を入ったところにある。
よのちぢ(ゆぬちじ)
昔、世誇りの北にあった。
※世の頂。建物の名前。頂(ちじ)は頂上にあるという美称。
もんなみ(むんなみ)
百次(もんなみ)。大台所の事。
御書院がま(ぐしゅいんがま) 奥御書院(うくぐしゅいん)
御書院(ぐしゅいん) 南風の御殿(ふぇえぬうどぅん)
西の御殿(いりぬうどぅん、にしぬうどぅん) 御番所(うばんじゅ)
君袴(きみぶくり)
きみほこりおぢやう(きみぶくりうじょお) 奉神門(ほうしんもん)。
ながおぢやう(ながうじょお) 広福門(こうふくもん)。
かごゐせおぢやう(かぐうぃしうじょお) 漏刻門(ろうこくもん)。
ひぎやおぢやう(ひじゃうじょお) 瑞泉門(ずいせんもん)。
あまゑおちやう(あまえうじょお) 歓会門(かんかいもん)。
うへあやちやう(うぃいあやうじょお) 守礼之邦門(しゅれいのくにもん)。
※守礼の門は、この時代はこのように呼ばれていた。
みものおぢやう(みむぬうじょお)
この門は、尚質国王の時代に新しく造開。昔は、まものあさなといって賜ったとの事。
よそへちのおちやう(ゆすひじぬうじょお) 右掖門(うえきもん)。
ほこりおちやう(ふくりうじょお) 久慶門(きゅけいもん)。
かわるめのおちやう(かわるみぬうじょお)
おなかおちやう(うなかうじょお) 淑順門(しゅくじゅんもん)
この門は、尚質国王の時代に「淑順」の額を掛ける。
あかたおちやう(あかたうじょお) 美福門(びふくもん)。
そへつきおちやう(しいちちうじょお) 継世門(けいせいもん)。
しろかねおちやう(しるがにうじょお) 高あさなの門。
たかあさな(たかあさな) 首里城東の鐘楼。
しまそへあざな(しましいあざな) 西の鐘楼。
かまい(かめえ)
官女が饔飧(ようそん)を作るところ。
※饔は朝ご飯、飧は夕ご飯の事。
おぢきやいどころ(うじちゃいどぅくる)
平等所(ひらじゅ)。
※警察署と裁判所と刑務所を兼ねたところ。昔の人は、ひらじゅと聞いただけでおそ
れをなしたとか。
おほみおどん(ううみうどぅん)
大美御殿。
※大美御殿と書く。大も美も美敬称。王様の御殿。つまりは首里城正殿。
よまさり(ゆまさり) (1050)
※見出し語だけで、何の説明もない。このような例はかなりある。とにかく、自分た
ちの世代のことばを後世に伝えようとする気持ちがありがたい。後世の我々はこれ
にどう答えなければならないか。よまさりは、世勝りで建物の名前。おもろさうし
に見える。
にし(にし)
雪隠(せっちん)の事。俗にとうす。東司と書く。
※現在では雪隠もとうすもあまり使わない。要するにトイレの事。とうすを俗につか
っていたのは驚き。なお、本土の禅宗の寺に行くと、トイレではなく東司と書いて
ある所が結構ある。にしというのは、トイレがにしにあったためか。なぜ、にしと
ひらがなで書いたかと言うと、琉球語のにしは漢字に直すと、北と西の両方があり、
どちらかは、ただちに決められない場合が多い。筆者が翻訳した現代語訳おもろそ
うしでは、にしをすべて北と翻訳している。
おんぐわ(うんぐぁあ)
御蔵(おくら)の事。
衣服
たまむきやぶり(たまむちゃぶり)
玉の御冠。
たうむしよ(とおむしゅ)
唐御衣と書く。
おやむしよ(うやむしゅ)
御衣の事。
※おやは親で美称辞。
とむしよむはかま(どぅむしゅむはかま)
胴衣袴の事。
※胴衣袴とはどのようなものか。とむしよは胴衣(どぅぎぬ)の美称。
おほみききよび(ううみちちゅうび)
大紳の事。
※要するに帯の事。おほみは、大美で美称辞。ききよびは帯の事。現代の琉球語では、
帯のことを、ううびと言う。最後のよびがこれに相当する。ききは語源不詳。
みひつきん(みいちちん)
鼻紙の事。御鼻巾と書くか。
なかむさじ(なかんさじ)
長御巾。
※要するに長い手拭の事と思われる。現代琉球語では、手拭のことを、てぃいさあじ
と言う。さあじとは布巾の事。てぃいは手の事。
むさじ(むさじ)
御手拭。
※むは丁寧語、御にあたる。
しらしよむしよ(しらしゅむしゅ)
しるむしゅとも言う。白い御衣の事。首里王府御双紙にも見える。
※原文には、最後に「見よ」とある。これは命令形にもとれる。しかし、もともと、
「見ゆ」は、和語であるが、編者はこれを、沖縄の方言かと思い、「ゆ」を「よ」に
書き換えたと推察される。編者識名盛命は、この見よを後のほうでは朱を入れて見
えたりと修正している個所が多数ある。
あふはせをむしよ(おおばしょおむしゅ)
青芭蕉の御衣の事。按司部が束帯の時に着る。四時これを着用する。
※束帯とは要するに正式の着衣。四時とは、朝、昼、晩、夜を言う。現代琉球語でも、
しいじいと言い、しょっちゅうの意味。
ちやうぎぬ(ちょおぎぬ)
朝衣。三司官以下が束帯の時に着る。四時これを着用する。
あしやげこむね(あしやぎくむに)
緞子(どんす)などに五色の刺繍(ししゅう)がある。高貴な人が婚礼の時る着る衣。
しゆはあ(しゅはあ)
手帕と書くか。高貴な人の婚礼において、新婦が新郎のもとへ嫁する時に被る頭巾。
およぎ(うゆじ)
御宿衣(およぎ)と書く。
※よぎは夜着の事。
おうどむしよ(ううどぅむしゅ)
おうどとも書く。
※おうどとは布団の事。むしよは御衣の事。
むきやちや(むきゃちゃ) (1367)
蚊帳の事。
※現代琉球語では蚊帳をかちゃと言う。筆者は中学校まで使用していたが、いまは、
もう見かけない。蝿帳(はいちょう)というものがあったが、これも今は見かけな
い。むかしは、蝿が多く、ちゃぶ台(テーブル)に食べ物を置いておく場合には、
かならず、蝿帳をかぶせていた。蝿取り紙、これも見かけない。おもろさうしでは、
蚊帳は、かちや、で登場する。
むちやなし(むちゃなし)
夏着の総称。
ひらぬき(ひらぬち)
眞苧(まお)の布、または績いだ芭蕉を紺に染め、裏に付ける袷(あわせ)の事。昔
は女性の正式の着物。
※原文「はせを」は芭蕉の事と推察される。8項目前に、「青芭蕉」と前出している。
ここでは、ひらがなになっている。松尾芭蕉のサインは漢字とかな書きがあるが、
かなでは「者せ越」と書いている。原文「者せ越」と同じである。校本:混効験集
では「を」が一字誤入されているとあるが、これは評定所本が正しいと思われる。
また、現代琉球語では袷のことを、ああしと言う。
につまぬき(にちまぬち)
みつまぬきとも言う。禁中で、女官が夏冬ともに着る普段着。袷の重ね着は不仕付(ぶ
しつ)けな事。台所で、勢頭部(せどべ)が正式の御膳を差し上げる時、この着物の
片方を抜いて仕事をすることは今もある。
※着物の片方を抜いて仕事をするは、実にリアルである。
すゑんみこちやの御盆かなし(しうぃんみくちゃぬうぶんがなし)
昔、すゑみこちゃ(部屋名)で正式に頂く朝夕の食事。規則では、初めを頂いた残り
は、そなへこちゃ(部屋名)の台所方が頂く、これは毎日おこんくわのせとみさり(部
屋名)で番頭(大台所の主任)に御膳の品々、あるいは、器などを並べてみせ、御中
門で、そなへこちや(部屋名)の台所方に引き渡す。火鉢という名の座敷で頂く食事
は、つけあはせみおはん(付け合わせ御御飯)と言う盛り飯の事である。いつもの御
膳は、よりむち(建物の名前)で受け取って召し上がる。近年、尚質王の時代までは
このようである。
※混効験集の中で最も長い説明文のようである。現在の我々からはどうでもいい事の
ように思う人と、興味深いと思う人と両方がある。このような日常の衣食住につい
ては、なかなか後世に伝わらないことが多いので、私は貴重だと思う。
おほのがなし(うぶぬがなし)
和語では、おものと言う。源氏物語、桐壷の巻に大床子(おおゆかご)のおものなど
は、と有る。おものとは、食事の事。膳はおものと読める。
※おほのは、おものと同じ、御物の事。かなしはたびたび出てくるが美敬称。食事に
美敬称を使うのは、奥ゆかしさの現われか。京都では食べ物に、〜さんを付けるこ
とがよくある。御物の御は丁寧語だが、これをはずすと物となる。現代琉球語では、
食事の事を、むんと言う。むぬの最後の母音が消失した形である。大床子は、源氏
物語湖月抄によると、御膳(おもの)を載せる大きな板をさすようである。
御時なふり(うとぅちなぶり)
おじろものと有る。形遠と書くと有る。
※形遠は別の項にも登場するが、おそろしいという意味のようである。おじろものを、
うじるむぬ、つまり、おそれるものと解釈したらしい。ここは、飲食の分野である。
おじろものは、おしるもの、つまり、御汁物と解釈したほうがよさそうである。和
語のなぶるは、手でもてあそぶことである。つまり、ときどき、手でもてあそぶで、
御汁物でいいのでは。
すゑんのおつさへら(しうぃんぬうちさびら)
いぢへやうおつさうれ(いじひよおうちそおれ)
内裏の晩の点検の時に呼びかける言葉。外に人がいたら出て来なさいという意味であ
る。
あかがへこと(あかげえぐとぅ)
火事の事。
※飲食の部に火事があるのはどういうことか。あかがへそのものは、確かに飲食と関
係がある。あかがへこととは、そもそもは、火を取り扱う事という意味だったので
はないか。なお、現代琉球語では、火事はくぁじと言う。
おぼこひかなし(うぶくいかなし)
機嫌よくいらっしゃること。
※これは、御誇りかなしの事と推察する。りのRが消失した形。
おいねけ(ういにき)
幼い事。
をふなべ(うぃいなび)
よふなべとも言う。和語も同じ。
※夜なべの事。夜なべは、夜に仕事をすることで、夜鍋ではない。
とふにむかあにむ(とぅうにんかあにん)
もめいむていむ(むみいむてぃん)とも言う。条々という事。とにもかくにもと言う
事。
ならへずきらす(なれえずちらず)
常住の事。
※語源は、習いが消えずという意味か。
おちやいめしやれ(うちゃいみしょおれ)
極めて敬う言葉。按司部はちやいむしやれ(ちゃいんしょおれ)と言う。
※いらっしゃってくださいと言う意味。
おうらなへおかみ(ううらないうがみ)
御伺いする事。
あふれ(おおり)
人の去来または何か物などをお互いに贈りあう事。
※来なさい、来たれという意味。
おへちやこと(うひちゃぐとぅ)
後悔する事。
※語源は、してしまった事という意味か。
おんたさ(うんたさ)
威光があって重々しい様子。当番の時に諸間切から来る貢物。
くわゐ(くわうぃ)
田芋の事。
※和語で、くわいは、慈姑(くわい)という別の植物。
しぶい(しぶい)
冬瓜(とうがん)、鴨瓜(かもうり)とも言う。
※しぶいは現役バリバリの現代琉球語。すぶいとも言う。渋瓜がなまったものか。
わかむしやもち(わかむしやむち)
元三の捧物の事。いか、こほしめ(くぶしみ)、烏賊、たこ(鮹、章魚とも書く)。こ
れらの類。
※背中に甲羅のようなものがあるのをこぶしめ(くぶしみ)と言う。この甲羅を船の
ように海の上に浮かべて名護市汀間(ていま)の海で遊んだ記憶がある。その海の
1.8キロほどむこうが、現在埋め立てられている。ところで、上の記述からする
と、いかと烏賊は違ったもののようである。元三とは、日、月、年の元(はじめ)、
つまり一月一日をいう。三元日とも言う。この三元日が縮まって、さんがにちとな
った。つまりさんがにちは、もともとは一月一日の事だが、現在では一月三日まで
の三日間を言うようになった。ちなみに、比叡山中興の祖に元三大師という方がお
られ、この方は正月三日に亡くなったことからこの名前が付けられたとの事。おみ
くじの発案者として有名。なおまた、むしやもちとは魚介類の事を言う。
干瀬くみ御捧物(ひしくみうささぎむぬ)
さざい(栄螺)、びる(海松)、おやすら、もずく、むけこ。
やまもも(やまむむ)
国頭、慶良間島よりの貢物。
※いわゆる、ヤマモモの事である。イオン琉球名護店に行く途中のアスファルトの道
に、季節になると、たくさん落ちている。高いところに実を付けるので取ることが
できない。
しらつなの御初(しらつなぬうはち)
なまむしやもち。那覇より上る。
※しらつなは漁方の一つ。しらつなは白綱の事か。御初は初物の事。なまむしやもち
は、魚介類の事。
山の御初(やまぬうはち)
運上推上。
※要するに、琉球王府に運上する山の貢ぎ物。
歳暮の御捧(しいぶぬうささぎ)
なまむしやもち(なまむしゃむち)、かれむしやもち(かりむしゃむち)。むはじきや
み(むはじちゃみ)。この外にも多数上るので大体を記す。
※なまむしやもちは、生の魚介類。かれむしやもちは、干した魚介類。むはじきやみ
は不明。
寄物の御初(ゆしむんのうはち)
へと(ひいとぅ)、海豚(いるか)の事。しゆこ(しゅうく)、知念、玉城より献上。
※昔は、名護湾に大量に打ち上げられることがあったが、今はどうであろう。あれは、
集団自殺と考えられていたが、近年の研究では、「イルカは集団で行動し、群れには
必ず、リーダーがいる。イルカは耳の後ろにある超音波を感じ取るセンサーで位置
情報を知る。たまたま、そのリーダーのセンサー部分に寄生虫が発生し、センサー
機能がおかしくなり、浜に打ちあがる。その他のイルカもリーダーに従って打ちあ
がる。」とのことである。昔は、大量に打ちあがったイルカを周辺の住民が戸板を並
べて、解体し、みんなで平等で分けたとの事。海の豚と書いて海豚である。姿形が
豚に似ているのではない。食べた味が豚に似ている。というよりも、豚よりもおい
しい。特に、皮の下にある脂身の部分がおいしい。ひいとぅは、名護市で、今でも、
スーパーにおいている。
よね(ゆに)
ゆき(ゆち)、米の事。また、砂もよねという事がある。正月一日の初日の出の時に、
内裏の御庭に砂をまくのをよねをまくと言う。
けし(きし)
鶯粟(うぐいすあわ)の事。
※ケシの実に似ているからか。
ごま(ぐま)
胡麻。白いのを白麻(はくま・しろま)と言う。黒いのを烏麻(からすま)と言う。
ふすめみおはに(ふすみみうはん)
熏美御飯と書く。赤飯の事。かしきいい(爨き飯)とも言う。和語には、こわめし、
こわいいとも言う。強飯とも言う。
みおばに(みうばん)
美飯の事。おはに、と言う。
※ばには飯(ばん)の事。みおは御御の事。二重の丁寧語。みおの付く語は大体これ。
よく使われる。御御を美御とも書く。おみおつけは、漢字で書くと、御御御付とな
る。これは三重の丁寧語。
おちやのこ(うちゃぬく)
餅(もち)の総称。
※漢字で書くと御茶の子。うちゃぬくは現代琉球語としても通用。スーパーに行くと
置いてある。
おくすり(うくすり)
酒の事。首里王府御双紙にも見える。
あまおさけ(あまうさき)
甘酒の事。
おむしやく(うみしゃく)
御神酒の事。むしやくみき(むしゃくみき)とも言う。和語でもみきと言う。かみみ
きと言う説がある。昔は、口で米を噛み砕いて酒を作ると呉竹集に見える。
おむしよ(うむしゅ、うみしゅ)
味噌の事。
みつくりみや(みちくりみゃあ)
むはじやみや(みはじゃみゃあ)とも言う。麦味噌の事。
おしたて(うしたてぃ)
醤油の事。俗語にはすたて(すだてぃ)と言う。
おはいり(うはいり)
酢の事。
おさた(うさあたあ)
砂糖の事。
※さとたの右横にそれぞれ引の字がある。これは長音記号の事と思われる。現代琉球
語でも、さあたあと言う。
じんだおもしよ(じんだうむしゅ)
糠味噌(ぬかみそ)の事。和語でも言う。徒然草に、後世を思わむ者は、糂汰瓶(じ
んだがめ)一つも持つまじき事なりと有る。糠味噌入りの壷の事。
※徒然草第98段、原文では思はんとあるが、徒然草の原文は思はむとある。思はん
と書くと思はぬか、思はむか区別がしにくい。後世(ごせ)は死後の事。死後の世
界の幸福を願う者はこの世においては、糠味噌の瓶一つも持ってはならないという
事。
おすゑんべい(うしうぇんべえ)
煎餅(せんべい)の事。
おひやが(うひゃがあ)
※菓子の名前。
おましほ(うましう)
塩の事。捷用雲箋(しょうよううんせん)に海霜とある。
※海霜の読みは、うみしもか。
おすいづめ(うしいじみ)
おさいしよ(うさいしゅ)、かすざい(かすじい)。焼酎の糟(かす)を言う。
ついづめ(ちいじみ)
たうふ(とうふ)の糟(かす)を言う。
※豆腐の糟は、和語では、おからである。
おたうふ(うとおふ)
御豆腐の事。
むきやしきい(むちゃしちい)
芋(いも)の事。真芋と田芋。たういもとは、はんすいもの事。註釈が相違している
か。
※註釈が相違しているか、とあるのは、たういもと、はんすいもは違うという意味か。
はんすいもとは、どういうものか。
みおべゐ(みうびうぃ)
水の事。あまもの(あまむぬ)とも言う。
まめな(まみな)
おやしの事。豆菜。
※もやしをおやしと言っていたのか。現在は、まあみなあと発音する。
むはなはぢき(むはなはじき)
すいたみやつい(しいたみやちい)。高菜漬の事。
※高菜(たかな)ではなく、からし菜と思われる。むはなはじきは、漢字で書くと御
鼻弾きとなる。鼻につんとくる。からし菜は現代琉球語で、ちきなあ、と言う。漬
け菜のことである。ちきなあを塩で漬けたのも、ちきなあである。油で炒めても、
ちきなあである。
ああせ(ああし)
醤物(しょうぶつ)の事。
※醤は、塩漬け、塩辛の事を言う。ああせも同じ意味である。動詞はああすんで合わ
せるという意味。
たいこね(でえくに)
菜菔(だいこん)。おおね(大根)とも言う。
※菔は大根。すずしろは、春の七草の一つで、大根のことである。
きたいこね(ちでえくに)
胡蘿蔔(きだいこん、にんじん)。
※蘿蔔は大根の事。胡蘿蔔の左横にニンジンとある。これは要するに、黄大根だが、
大根ではなく黄色いニンジンの事。現代琉球語でも、ちでえくにと言う。この語源
がわかっていれば、赤いほうのニンジンはちでえくにとは言わない。なお、「き」を
「ち」と発音する事を、専門用語では口蓋化と言う。きよらは、ちよらとなって、
ちゅらとなった。この傾向は琉球語だけではなく、世界的に普遍な現象だそうだ。
イタリア語のciaoは、チャオと発音する。イタリア語のもとになったラテン語では、
ciはキと発音する。
たみやつい(たみやちい)
野菜の事。
みきやむだ(みちゃむだ)
蕪(かぶ)の事。うむでい(うむでぃい)とも言う。おもろさうしに、みかふらと有
る。和語でも、かふらと言う。
きむきやうと(ちむちょおとぅ)
仙本(せんもと)の事。ひらとも言う。
※仙本は節用集か、本草綱目あたりからの引用か。正しくは、千本(せんもと)であ
る。分葱(わけぎ)のことを、宮崎、熊本、鹿児島あたりでは、そう言うらしい。
現代琉球語では、びらと言う。
きむびら(ちむびら)
薤(にら)の事。 きりひら(ちりびら)とも言う。
※現代琉球語では、ちりびらあと言う。これは、ネギでもニラでもワケギでもなく、
日本本土ではあまり見かけない。瀬長亀次郎は、そおみんちゃんぷるうに、ちりび
らあ、だけを入れたのが大好物だったそうだ。
おむきやうと(うむちょおとぅ)
蒜(にんにく)の事。俗には、へる(ひる)と言う。
※現代琉球語でも、ひると言う。
たかなり(たかなり)
茄子(なす)の事。銀茄(しろなすび)、水茄(ながなすび)、崑崙瓜(こんろんうり)
とも言う。
※現代琉球語では、なあしびと言う。
ながふゑ(ながふぃい)
なへら(なべら、なびら)の事。長瓜とも書くか。和語では、へちま、糸瓜(いとう
り)、菜瓜(なうり)、布瓜(ぬのうり)とも言う。
※ふゑはふりがなまったもの。枕草子に、うつくしきものうりに書きたるちごの顔。
春曙抄では、うりはふりと有る。したがって、ながふゑは、ながうりの事。現代琉
球語では、なあべえらあと言う。今帰仁の方言では、なびらあと言う。
くわんとうり(くぁんとぅうり)
西瓜。水瓜とも言う。
※現代琉球語では、単に、しいくぁ。水瓜はみずうり(みじうり)と発音していたの
か。これは、英語のwater melonと同じ発想。
いちよび(いちゅび)
覆盆子(いちご)、苺子(いちご)の事。
※この頃のイチゴとは、どういうものだったのであろう。
ふらう(ふろお)
豇豆(ささげ)の事。あるいは、菜豆とも言う。白角豆(しろささげ)、紫豇豆(むら
さきささげ)、紋豇豆(あやささげ)とも言う。
※ササゲは、豆の形が、何かを捧げるような形をしているからとの説がある。江戸時
代には、武士のあいだで赤飯に小豆の代わりに用いられた。これは、小豆は煮ると
皮が破れる、つまり、腹が破れるということで、縁起をかついでの事。今でも、小
豆ではなく、ササゲを使った赤飯を置いているところは多い。
こうすい(くうしい)
胡荽(こすい)の事。
※胡荽はセリ科の植物で、コリアンダー、パクチーなどとも呼ばれる。延喜式、倭名
類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)にもあらわれる。現代中国語では香菜と書い
て、シャンツァイと発音する。
うへきやう(うひきょお)
蘹香(かいこう)、茴香(ういきょう)とも書く。
※現代琉球語では、うぃいちょおばあと言う。
かはしな(かばしな)
常山葉(くさぎ)の事。くさきなとも言う。
※シソ科の落葉小高木。葉に悪臭がある。
てだな(てぃだな)
莧菜(ひゆな、ひょうな、ひゅうな)の事。
※スベリヒユの事。マツバボタンは同属。山形県、沖縄県などでは食用にする。トル
コ、ギリシャなどでは、サラダにする。なお、てだなとは、太陽菜(てだな)の事
と思われる。
よやけむしやもち(ゆやぎむしゃむち)
藻の事。むしやもちは海の捧げ物。よやけは寄り上げが縮まった形。
※藻とは、実際は何をさすのか。アオサ、モズクなどの事か。
みがん(みがん)
御萱(みげん)の事。薄(すすき)。
※薄は草カンムリがある通り、もともとは、ススキの事。発音が同じことから、薄い
の意味で用いられるようになった。札幌市のすすきのは薄野とも書く。
つのあつため(ちぬあちたみ)
牛肉の事。
※つのは角の事。あつためは肉のことのようだが語源は何であろうか。
つかないのあつため(ちかないあちたみ)
豚の事。
※つかないは、飼うという意味。ちなみに現代琉球語では、豚をうぁあと言う。
かうのあつため(こおぬあちたみ)
鹿肉の事。かうとは何の事か。
やまあつため(やまあちたみ)
山猪(やましし)の事。
現代琉球語では、猪をやまししと言う。
ひひしやあつため(ひいじゃああちたみ)
羊肉の事。
※羊肉と書いてあるが、山羊の肉である。現代琉球語では、山羊のことを、ひいじゃ
あと言う。沖縄にはもともと、羊はいない。山羊のことを羊だと思っていたようで
ある。山羊の汁を、ただ単に、ひいじゃあ、という。ひいじゃあの刺身は、生では
なく表面を焼いてある。
こかむにやい(くがむにゃい)
鶏卵の事。俗語では、こか(くうが)とも言う。玉子(たまぐ)とも言う。
むにやい(むにゃい)
九年母(くねんぼ)の事。こかねくねぶ(くがにくにぶ)、たいたい(だいだい)。橙
と書く。このほかを総称してこのように言う。
※前項のこかむにやいと合わせると、むにやいは、丸い物を言う言葉か。九年母は、
ミカンの一種で、現代琉球語では、くにぶと言う。おもろさうしに登場する。橙色
(だいだいいろ)は現在では、ほとんどオレンジにとってかわられた。
ももああすへ(むむああしい)
漬楊梅(つけやまもも)の事。
※楊梅はヤマモモの事。ああすへは塩漬けの事。筆者も食したことがある。たくさん
とれた時の保存食だと思われる。現在、桃と呼ばれるものは、中国からの渡来で、
魔よけの効果があったといわれる。桃太郎は桃から生まれなけらばならない。それ
以前、モモと呼ばれたものは、ヤマモモの事。万葉集では、中国渡来の桃を毛桃と
歌っている場合が多い。向(むか)つ峯(を)に立てる桃ノ樹(き)成らめやと人
ぞささめきし汝(な)が情(こころ)ゆめ(万葉集1356)の桃はヤマモモの事
と思われる。なお、現代琉球語では、普通の桃を、毛桃(きいむむ)と言う。
ひわ(びわ)
枇杷(びわ)の事。
ひいしやぐ(ひいしゃぐ)
芭蕉(ばしょう)の実の事。
※芭蕉の実、つまりバナナの事である。現代琉球語では、バナナをばさないと言う。
おしやしもの(うしゃしむぬ)
おそない(うすねえ)の事。俗にしやしもの(しゃしむぬ)と言う。
むきやてもの(むきゃてぃむぬ)
御和物(おかてもの)の事。
※要するに、おかずの事。むは丁寧語。現代琉球語では、かてぃむんと言う。
おからもの(うからむぬ)
鮹(たこ)、鰹(かつお)の類を言う。
おぼい(うぶい)
水の事。
※おは丁寧語、ぼいが水の事。現代琉球語では、うびいと言う。古事記、延喜式に「お
もひ」、日本書紀に、みもひと有る。
言語
おつされ(うっさり)
相手に何か言う時、あるいは案内をこう時にいう言葉。
おつさうれ(うっそおれ)
こちらに来てくださいという意味。少し敬う時には、いまうれ(いもおれ)と言う。
※おつさうれのさうれは候え、いまうれのまうれは、参れと思われる。
みおやたいり(みうやだいり)
公事を言う。
※漢字で書くと、御親内裏と思われる。
むかしけさし(むかしきさし)
古い昔の事。
※けさしはむかしの対語で意味は同じ。
だんきよと(だんじゅとぅ)
もっともだという事。
だに(だに) (33)
誠にという意味。げにもと同じ意味。
みおやすら(みうやすら)
進上の事。おやすら(うやすら)とも言う。
※奉る、差し上げるという意味。
からめき(からみち)
勤め営む事。
※要するに仕事をする事。
おみぼけ(うみぶち)
たまもの。頂く事。
※おみは御御で二重の丁寧語。ぼけは、余剰、余り物の事を言うらしい。
みおみのけ(みうみぬき)
申し上げる事。ただ、おみのけ、と言う時は、貴人にも言う。
※みおみは御御御で三重の丁寧語。のけが語根。のけは日本古語の宣るに通じる。
みおむつかい(みうむちけえ)
奉り屈っして請ける事。
※みおむは御御御でこれも三重の丁寧語、つかいが語根。要するに御使いの事。
みおみしやく(みうみしゃく)
国王自ら諸臣へ御酒を注いで下さる事。
※みおみは御御御で三重の丁寧語。しやくは酌。
もりつき(むりちじ)
次酒(つぎざけ)の事。王府御双紙に、それぞれの盞(さかづき)にて、差し上げ、
次はせん御酒より、と有る。
あふたふと(ああとおと)
仏神を信仰する言葉。和語ではあなたふとと言う。呉竹集にある。詞林三知抄に安尊
あなたうと書いてある。あら貴(とうと)の意味。
※現在でも、トートーメーを拝むときには、「ううとおと、ああとおと」と言う。
てすりあけ(てじりあぎ)
合掌して拝むこと。
※てすりあけは、手擦り上げ。おもろさうしでは、「手擦て」と頻出。
おたかべ(うたかび)
神前に祈願する事。
※漢字で書くと、御崇べ。おは丁寧語。たかべは、神を敬うこと。
おむしやたゐ(うむしやたい)
行幸の時の御先払い。
※うむは、御御、しやたゐは、為遣(しや)たい、と思われる。
おむしづき(うぬしじち)
御供をする事。
※おむは御御。しづきは為付(しづ)きと思われる。
た(た・たあ)
舌音で伸ばすと案内を呼ぶ事。舌音詰めて言う時は、多人数を表す。親雲上(ぺー
ちん)た、里之子(さとぅぬし)たという類。またたいへん敬う時は、舌音重々し
く長く伸ばす。声のひびきによって上下を表すことがある。
※たあと長音で発音すると、誰(たあ)で、案内を呼ぶときの言葉であったという
事のようである。また促音で発音すると人数多数の場合を言うようである。現代
琉球語でも、いったあ、わったあ、と確かに促音になる。たは伸ばし方、ひびき
などによって上下関係をあらわしたようである。親雲上は訓読みにすると「おや
くもうえ」でこれは、もともとは「お役思い」であったと思われる。ぺーちんと
発音するのは、もともと中国語の発音だったと思う。親雲上をそう発音したので
はなく、上級の官職あるいは呼びかける時の中国語がぺーちんであったと思われ
る。
きじやりきじやり(きじゃりきじゃり)
位階段々の事を言う。源氏帚木巻に、決まった身分の中にも(それぞれの段階)があ
って、とある。次第次第の意味にも使う。
よしろて(ゆしりてぃ)
参進する事。王府御双紙に、よしろていまふさしむしやへるやうと有る。
おしられ(うしられ) (902)
物を申し上げること。
※おは御、しられは知られ。相手に知らせることが申し上げる事。
およせ(うゆし)
上から命ぜられる事をいう。
いじきやおした(いじちょおした)
そうではなくという意味。
※語源、語義不明。
さんぜんざう(さんじんぞお)
ならいすきらいす(なれえずきれえず)とも言う。常住不断の事。
※語源、語義不明。
おかむきやち(うがむきゃち)
拝み合わす事。
※きやちは方向を表す助辞で、〜への意味と思われる。したがって、拝みにという意
味になると思われる。
おちよわひめしよわちへ(うちゆわいめしゆわちい)
行幸の事。
ももかほうしやへて(むむかほうしやいてぃ)
行幸を蒙(こうむ)っての意味。
※ももかほうは、百果報の事。しやへては、し侍りての意味。
ももすてやへて(むむしでぃやいてぃ)
幸せでありがたい事。
※ももは百でたくさんという意味。すては巣出るで、たくさんの子供が巣立って行く
こと。やへては侍りての意味。すでることを現代琉球語では、しでえゆんと言う。
おやむめさたうと(うやむみさとおと)
恐れ憚り尊ぶ事。
※敬うこと、尊いの意味か。
おとろしや(うとぅるしや)
※原注がない。これはごく普通に使う当たり前の言葉で、意味の説明は不要であった
と推測する。現代琉球語では、うとぅるさんと言う。
しばしば(しばしば) (1181)
数が多い事。頻繁におこる事。
和歌にも、和田の原によせくる波の上で、何度でも見たいものである玉のような島も
りを。
わかめづ(わかみじ)
若水。去年の水を春の立つ日に汲むのを言う。日本では主水(もんど)のつかさが、
この水を内裏で差し上げる場合は、朝食の時にこれを手で掬(すく)って年中の邪気
を払うと本に書いてある。春になって今日差し上げる若水に千歳の影が先に浮かんで
見える、呉竹集。
※春が正月一日に始まることがわからなければ、若水の意味はわからない。春の立つ
正月一日に去年の水を汲むのである。
わさうしや(わそおしゃ)
はやいという意味。和語でも同じ。はやい稲を早稲(わさいね)と言う。
みつと(みちとぅ)
土産の事。
※御苞(みつと)の事。現代琉球語では、ちとぅと言う。
いちよなしや(いちゅなしゃ) (365)
仕事に追われ暇のない事。
※現代琉球語では、名詞は、いちゅなさ、形容詞は、いちゅなさんと言う。
みしきよま(みしちゅま)
麦米の初物を言う。
※麦米は、麦と米。
ちやうはれ(ちゆわり)
万歳、幾久しく居てくださいという意味。琉歌に、心やさしい首里国王よ、いついつ
までも御元気でいらっしゃってくださいと拝んでおります。
きよらさ(ちゅらさ) (345)
美麗なる事。清の字を書く。和語にも通じる。徒然草第8段、すべてに美しさをきわ
めても、または、手足などが美しく肥えているのは、と有るもこの意味である。
※徒然草原文では、まことに手足、はだへなどのきよらに肥えあぶらづきたらむは、
とある。混効験集には古典が引用されている。私が古典を引用する場合には、原典
を横においてそれを書き写すのであるが、混効験集の編者は、頭に暗記しているの
を、そのまま書いているように思える。現在なら辞書の作成で、こういうことは、
ありえないのであるが、とても興味深い。引用したものが、すべて暗記したもので
あったとすれば、昔の人は記憶力がよかったなあと感心する。と同時に、必要な文
献をほとんどすべて横に並べられる現在の人は本当に恵まれていると思う。もちろ
ん、ネットも含めてである。きよらが、「ちよら」となり「ちゅら」となった事は前
にも書いたが、このちゅらに形容詞語尾「さん」がついたのが「ちゅらさん」、NHK
の朝ドラで全国的に有名になった。主演は国仲涼子である。なお「ちゅらさん」の
発音は前のほうを高くするのではなく、後ろのほうを高くする。この発音を聞くと、
ナイチャーかウチナーンチュかが区別できる。
けらいて(げれえてぃ) (288)
造営する事。あるいは調和の事。おもろさうしに、180メートルの御殿を造って、
144メートルの御殿を造ってとあるのは、造営の事。食物などのけらいてと言う時
は、調和の事。またけらい言葉という時には、上に対して、慇懃に言葉を取り繕い、
ものを言う事。
※尋は両手を広げた長さで、およそ1、8メートル。180メートルの御殿が大きい
か小さいか。白髪三千丈(3000メートル)という中国的スケールからすれば、
非常につつましい。三千丈は詩的表現あるいは、平仄の関係上ほかの字が使えなか
ったせいかもしれないが、おもろの世界はリアリティーがあると思う。神女が登場
して、リアリティーもあったものかと言われるかもしれないが、私が見る限り、お
もろの世界は全編至る処、現実世界だと思う。マンハッタンの摩天楼、バッキンガ
ム宮殿、タージマハール、ディズニーランドとは全く違った、地道なほとんど何も
無い世界かもしれないが、おもろさうしの描く世界がこれらのものに劣っていると
は、私には思えない。そこがおもろさうしの魅力。
おしやかれ(うしゃがり)
召し上れという意味。
※現代琉球語では、うさがいみそおれえ、うさがみそおれえ、と言う。みそおれえは、
見候え(みそおらえ)が語源。昔の日本語が取り残された感じ。動詞の連用形に接
続すれば、丁寧な言い方になる。にんじみそおれえ、あっちみそおれえ、ゆくいみ
そおれえ、うきみそおれえ、いちみそおれえ、などなど。
おさゐめしよわれ(うさいみしゆわり)
召し上がれという意味。
※おは御、さゐは触る、めしよわれは、召し上がれの意味。
あかふれ(あごおり)
召し上がれ。飲食する事。
※上がれという事。
そだて(すだてぃ)
養育する事をいう。
※そだては完全に和語。
あうれ(おおり)
来れという意味。
※八重山地方ではいらっしゃいを「おおりとおり」と言う。
おいらい(ういれえ)
答える事。和語にも有る。伊勢物語に、いらへもせぬなと、と有る。
※伊勢物語第62段。62段に2箇所、122段に1箇所。計三箇所、いらへが登場。
おむしらしや(うむしらしゃ)
甘い、旨いなどを言う。俗にまあさと言う。
※現代琉球語では、おいしいを、まあさんと言う。
おかはしや(うかばしゃ)
香ばしい、芳しいという意味。馨(かおり)の事。
およたしや(うゆたしゃ)
善いという事。
※おは御、よたしやは良いこと。現代琉球語では、良いを、ゆたさんと言う。
おかなしや(うかなしや)
愛敬するという意味。俗にむさうさ(むそおさ)とも言う。
※かなしは和語の古語のかなしと似たような意味。愛(いと)しい、愛すべきという
意味。悲しいと言う意味はない。現代琉球語で、かなさんとは、ほとんど、愛して
いるという意味である。
こな(くな)
組の字を書くか。一組二組などを、ちゅくな、たくなと言う。王府御双紙に神を数え
る場合、神こなのみなさま、と有る。
ちよたて(ちゅたてぃ)
酒などの一対の事をちよたて(ちゅたてぃ)と言う。
※ちゅは一つ、たては立て。
おしられ(うしらり) (902)
ものを申し上げる事。
ねごねご(にぐにぐ)
緩々静かにして懇切なの意味。
みすここまく(みしくくまく)
能々(よくよく)、密の意味。
※みすことこまくは対語。意味も同じ。こまくは細かい事。
しむじむと(しみじみとぅ)
染々と。和語でもしみしみと。
いろしいろし(いるしいるし)
取り分けての意味。
おむちへつころ(うむちひじくる)
御自ら。おみてから(うみてぃから)とも言う。
いこまち(いぐまち)
とよむ事。
※おもろさうし言間書では、鳴響(とよ)む、轟くとなっているが、おもろさうしの
中での実際の意味は、「急がせて」「急き立てて」などの意味で使われていることが
多い。私もそのように訳した。いぐますという言葉は、現代琉球語にもあり、意味
もそういった意味である。おもろ時代の人々もそういった意味で使っていたと思わ
れるが、たぶん日常普通の言葉なのであえて荘重な意味に解釈しようとしたのでは
ないかと推測する。
とむたてれ(とぅむたてぃり)
どこかへ人を使いに出す時にこしらえる物。いしゆかれ(いしゆかり)とも言う。
※語源も、注釈も理解がむずかしい。とむたてれは、ともに立つという意味か。いし
ゆかりとは、いっしょゆくという意味か。
おへむめしよはむ(ういむみしゆわむ)
御召し寄りの事。およびめしよはへむ(うゆびみしゆわいむ)とも言う。
ひぢやに(ひじゃに)
まれにという意味。また、終(つい)にという意味も有る。非常と書くか。
たへむす(たいむす)
実にそうあればという事。
※だにすが転じたものらしい。だいんすという形で組踊に使われるとの事。
さへむ(さいん)
それさへ。琉歌に、木草さえ風が吹けばそよめくのに御情けに迷わぬ人はいないであ
ろう。という感じか。
とづけ(とぅじち)
ものを言い付ける事。
おさむだい(うさむでえ)
食物の餕餘(しゅんよ)を言う。また、さむたい(さむでえ)、ともわけ(とぅむわき)
とも言う。
※餕は残った食べ物の事。餘も文字通り余り物の事。原文では両方とも食へんである。
校本:混効験集では、残餘となっているが、これは読み違い。餕は後の方で、もう
一度出てくる。沖縄では、トオトオメエに供えたものを我々が頂く場合、ウサンデ
エと言う。ご先祖の餕餘という考え方でたいへん奥ゆかしい言葉。それを頂く時の
決まり文句は、うさんでえさびら、である。餘は余の旧漢字で、兵庫県美方郡にあ
る山陰本線の駅は餘部(あまるべ)である。
みすがり(みすがり)
御輿(みこし)。舁(か)ぐ事。
※舁は音読みはヨ、訓読みは、かぐ。駕籠をかぐこと。輿、舁ともに臼(うす)の字
が入っている。みすがりの、みは御、すがりは、すがること。つまり輿にすがるこ
とで、みすがり。
おねびき(うにいびち)
御婚礼の事。根引き。和語である。
※おは御。現代琉球語でも、婚礼の事を、にいびちと言う。
おちやむなし(うちゃむなし)
柔和にして優游なる子供の事を言う。
※全く関係ない言葉であるが、江戸弁のおっちゃぴいを思い出した。
おんだいかなし(うんでえがなしい)
怒る事を言う。逆鱗(げきりん)の事。
※語源不詳。御大(おんだい)だと思う。つまりたいへんなこと。かなしは美称辞。
おねたさ(うにたさ)
同上。源氏葵の巻に、ねたさになんとの給へは、と有る。
※同上とあるが、上の意味とはちょっと違うようである。おねたさのおは御、ねたさ
は妬さ。憎らしい、恨めしいの意味。
あまこま(あまくま)
和語であなたこなたと言う。
※あまくまは現役バリバリの現代琉球語。意味はあちこち。
おいしかきのさかへて(ういしがちぬさけてぃ)
内裏の石垣の崩れる事。
※さかへての意味が不詳であるが、これは、さけての意味かと思われる。
おかげい(うかぎい、うかじい)
留守という事。
おはつかさ(うはつかさ、うわつかさ、うわづかさ)
些少(さしょう)である事。僅(わず)かの意味か。
※おは御。はつかは、わずかの事。
おかけれ(うかきり)
器などに物を入れる事。
つめて(ちみてぃ)
急ぐという意味。しばしばという意味もある。
※詰めるという意味か。
あかさて(あかさてぃ)
幼児の者を言う。
※これは、赤いという意味か。
あにたやべる(あにたやびる)
そのようでございます。然(しかり)の字の意味になるか。
※やべるは、侍るの事。あにはそのようでの意味。
をほう(うふう)
答える時の言葉。応の字に当たるか。
おほう(うふう)
承って答える言葉。諾の字に当たる。この二つの音を重く長く引く時は、きわめて、
敬う事。音を軽く短く引く時は、軽く敬う言葉。音の軽長によって上下関係を表した。
小学、張思叔の座右銘に、然りと諾するは必ず重く応ず。註に、然りと諾するは皆応
ずるの辞、応ずることの重ければ則ち践(おこなわ)んことを思う、云々。然(しか
り)とは是の如く也。諾は、承って頭(うなず)くの辞也。
源氏御幸の巻に、近江の君、こちらにと召せば、声があまりはっきりしない感じに聞
こえたので出て来た、と御返事の御声がする、と有る。
※現代琉球語の、はいは、うう、である。説明文にある通り、ううう、と言えば、か
なり相手を敬っている。うう、と言えば、それなりに敬っている。興味深いのは、
この時代も、現代も同じであるという事実。言葉は目まぐるしく変わるところもあ
れば、おどろくほど変わらないところがある。混効験集はそのことを、われわれに
教えてくれる。中国語の、然は、おほう、に相当すると思う。つまり、何かを頼ま
れた時の、「はい」であると思う。人に物を頼まれた時に答える、「はい」は大変重
みのある言葉で、いったん、それが口から出た場合には、必ず実行されなければな
らない。それが、小学、張思叔の座右の銘の意味だと思う。それと関係あるかどう
か、現代の中国語に、日本語の「はい」に相当する言葉はない。しいて言えば、「対・
トゥイ」であるが、字の通り、はい、というより、いいえ、という感じである。「是・
シィ」は、その通り、という意味で、「はい」には相当しない。やはり、中国人にと
って、然諾(ぜんだく)は非常に重みのあることなのである。源氏物語の、をとは
人間の声の事も言うようである。声があまりはっきりと聞き取れなかったので、出
てきたという意味らしいが、現代のように、適当に、「はい」、「はい」と返事をする
のではなく、返事にはそれなりの重みがあるということを言いたいのであろうと思
う。
あにやあやへらぬ(あにやあやびらん)
そうではございません。否の字に当たるか。否はそうではないという意味。あやへら
ぬ(あやびらん)とも言う。あゝゐ(ああい)とも言う。
あにやなやへらぬ(あにやなやびらん)
そのようにはなりません。おけかはさる(うちかわざる)言葉。ただならぬとも
いう。
いむまへましや(いむめえましゃ)
ものを忌む事。いまいましいという意味。
しつきやい(しっきゃい)
悉皆(しっかい)と書く。惣じてそうであるという事。
伊勢物語、源氏にも惣様と言う。
※悉皆の説明なのに、伊勢物語、源氏では惣様と言う、とはどういう事か。伊勢、源
氏にも悉皆という言葉が出てきて、その意味は惣様という意味なのか。
みおきれ(みうちり)
おまあつ(うまあち)とも言う。火を言う。和語でも、おきと言う。
ねむさ(にむさ)
遅い事。源氏に、にふきと有る時には、鈍の字を当てるべきである。
をそましや(うすましゃ)
おそろしい事。和語にも有る。源氏帚木巻に、をそましきと有る。